おとなの勉強会

勉強会といっても一人ですけれど、興味のあることを書いていきます。

国会議事録を読む/第001回国会 隠退蔵物資等に関する特別委員会(その4宇都宮事件⑤)

濱田vs.間島

 栃木県の摘発問題の最後を締めくくるのは場外乱闘みたいなものだ。内務省の官僚が暴露した世耕宛の信書で、世耕の委託を受けた弁護士二人が山形県農業会に対して、払下げの衣服1着につき2円の手数料を要求したという内容についてだ。問題は弁護士の一人塚崎直義と言う人物が最高裁の判事に就任してしまったことだ。扱いを間違えると一大スキャンダルになりかねない。

 

 濱田弁護士は確かに間島らと会食を行ない、払い下げ一着につき、2円の報酬について話し合われたことを認めている。ただそれは栃木での摘発物資があればの話で、それがないとないとわかった時点で話は立ち消えのはずであるとの主張である。

 濱田弁護士が森(淳)に対して出したとされる手紙の存在が問題となってくる。森(淳)は間島と一緒に山形県農業会の代理人となって、払下げに奔走した人物とされる。その手紙には濱田が報酬を要求しているとされる内容が書かれていると間島は主張し、その手紙を森が持っていると言う。その手紙を入手するよう委員会の意見は一致する。

森(淳)証言の波紋

 間島の議会証言が昭和22年8月15日、次回の特別委員会で森(淳)を承認として喚ぶことが決定する。そして8月22日に森(淳)が証言に立つ。

 森(淳)証人とともに登場するのは山形県農業会の佐藤という人物である。払下げ運動の事務方の人間と言っていい。

清澤委員

 そうすればお伺いしますが、そこで一つ問題になりますのは、この間ここで森(淳)さんのところへ宛てて、濱田さんかどなたかの手紙で、この軍服払下について一着二円の手数料をくれという手紙が森さんのところへ来ているという御証言が間島さんからありましたので、そういう手紙が森さんに來ておるかどうかということを伺いたい。

佐藤証人

 一着二円云々のことは私が東京に滯在中に伺つたことがあります。しかしながら私らの方としましては、大体繊維のマージンというものは公定で二割しかないわけであります。その二割の範囲内におきますならばどのようにでもするが、その範囲を超えた場合においてはこれは今私が簡単に答えるわけにはいかない。もしそういうふうな問題をわれわれが考えるとすれば、よく県の方と連絡をとって、価格の認可を受けなけばならないというふうに私は答えたと思います。

森(淳)証人

 濱田さんの手紙は来ません。そういうことを書いた手紙は来ません。ほかの手紙は来ました。私に二円くれとか何とかいうことを書いた手紙は来ません。それは何か間島君の思い違いです。濱田さんからの手紙は、もらいたいという意味は私は言わぬけれども、間島からくれるという意味のことをおっしやったというので、何か間島さんの思い違いだと思います。

中野(四)委員

 先日間島証人から陣述されまして以来、翌朝、三翠館のあなたのもとにお電話いたしまして、この手紙がはたしてあるかないかという点についてあなたにお問いをいたしました。その席上、百万円の金をくれということは書いてないけれども、一着二円ずつの、いわゆる二円くらいの何かをくれ、あるいはやるというような、そういうやりとりの話はある、そういう手紙は現在もっておる、こういう御説と私は拝聴いたしました。念のため二三度御念を押したおぼえがあります。

森(淳)証人

 二円くれとか百万円くれとかいう手紙は、絶対に私には来ておりません。

 

 議員との会話は電話であり、正式な議会での証言ではなけれども、突然の証言変更である。

 手紙のあるないの押し問答のち、森(淳)は8月12日付けの濱田よりの手紙ならあると言い出し、それ以前の手紙はないと断言する。

 8月の手紙ではなく、払下げ運動を行なっていた頃手紙、すなわち昭和22年3月頃の手紙じゃないと意味がないと、いよいよ議員たちはブチ切れる。もう良い、この証人は忌避すると言い出す始末。

 濱田弁護士自身、報酬に関する手紙は書いたことはないが、それ以外には2、3通手紙を書いたことがあると証言しているのだから、森(淳)の証言は疑義がある。

そして濱田弁護士に対する報酬に関しては次のような証言がある。

清澤委員

 間島さんの手紙の中に、農業会に向って塚崎さんと濱田さんの名によって弁護手数料として百万円を要求されて、そのうち半額の五十万円を前渡しの要求があった。これはあなた御承知でありますか。同時にそれに対して山形縣の農業会では理事会を開いて、五十万円の金を御用意をなさったということがありましたかどうか。それと同時に私が常識として考えるのでありますが、まだ品物は渡らない。話がこんからがっている際に、百万円の要求があったり、五十万円の前渡金の要求があったとしますならば、これは弁護手数料でなく、必ずこういう名目で百万円ないし今五十万円の金がはいれば、問題になっている品物を渡してやるとかいうような話でなければ、そういう話が成立しないと思いますので、その点を明瞭にしてこの五十万円問題をお聽かせ願いたいと思います。

佐藤証人

 その問題は本委員会が八月十五日に開催されるというわけで、間島三好氏より八月十四日、本農業会に対しまして照会があったわけです。それに対して県農業会長の名前で、間島三好氏にあてた文書がありますから、読み上げます。
「塚崎、濱田両弁護士より報酬として百万円要求ありたることは、佐藤氏は――佐藤氏というのは私です。佐藤氏は左の通り復命している。上野駅前三翠館で森、佐藤に対し間島氏が、昨日濱田氏と会ったところ、百万円報酬を受けたしと言っているが、どう取計うかと話があった。それに対し佐藤は報酬は当然考えなければならないが、それは許可指令が出て現物の引渡しを受けたあとでなければ、応ずるわけにいかない」こういうふうな会長の公文を出しております。従って会長が判をついておりますから、理事会は開いていないわけです。

清澤委員

 そうしますと、大体五十万円の問題は明らかになったのでありますが、これは間島さんからお聞きになったのでありますか。

佐藤証人

 そうです。

 

 つまり弁護士料五十万円とか百万円の問題は、間島を通して山形県農業会が知ったということであり、濱田弁護士からの直接の要求ではない。この間島、森(淳)は山形県農業会とは直接の関係もなく、払下物資獲得のための代理人であるという。おそらくその運動のために、山形-東京の運賃、宿泊代、その他接待費などを含めれば馬鹿にならない経費がかかるはずである。この経費について、農業会側はあくまで物資が手に入った段階での成功報酬だと主張する。

 ただ実際のところは佐藤が農業会から仮払を受けて、佐藤の支出と言うことで間島の飲食代などを支払っていたことは認めている。

 この森(淳)なる人物は何者なのか。世耕や濱田の証言の端々に、森(淳)は信頼の置ける人望の篤い人物という評価がある。世耕もそれは森(淳)本人が証人に立つと評価は一変する。あると言うはずの手紙はないと言ったり、濱田なんて人物は会ったこともないと言い切ったりする。委員会の議員を呆れかえらせるほど見え透いた嘘の証言を連発する。

結末

 結局宇都宮事件に関しては、何も成果のないまま終了する。明らかになったのは以下の三点だろう。

  • 地方検事局、警察の隠退蔵物資摘発の腰の引けた態度
  • 世耕に対する中央官庁官僚の反発、露骨な追い落し工作
  • 払下げ物資に関する、有象無象のブローカーの暗躍

 そして議会は様々な対立の場となる。

  • 信書を暴露した官僚たちと世耕の対立
  • 払い下げを信じた間島たち山形県農業会と世耕の対立
  • 手数料を要求したと主張する間島と弁護士濱田の対立

 最初に世耕は隠退蔵物資の摘発が官僚の怠慢のみならず、妨害があるとして非難した。それに対して官僚らの反撃があった。そこには世耕への怨嗟に近い憎しみが見えてきた。ただその官僚らの反撃の副次的な影響として、最高裁判事を巻き込みかねないスキャンダルが出てきてしまった。

 栃木県警森課長の爆弾発言が昭和22年8月8日、間島の証言が同年8月15日、そして森(淳)の証言が8月22日である。濱田弁護士から森(淳)あての弁護士料要求の手紙があり、その手紙を森(淳)が持っていると証言した8月15日から22日までの間で、世耕-濱田のラインが森(淳)に工作あるいは圧力をかけただろうと言うことは想像に難くない。そうでもしなければ森(淳)のあると言った手紙がないと言い出す突然の証言変更は説明できないからである。これは世耕-濱田ラインのみならず、最高裁判事を守らなければならないという大きな力が働いたからだろう。そしてその工作はとりあえずはうまく行った。少なくとも最高裁判事は守った。そういう結末である。