おとなの勉強会

勉強会といっても一人ですけれど、興味のあることを書いていきます。

国会議事録を読む/第001回国会 隠退蔵物資等に関する特別委員会(その4宇都宮事件⑤)

濱田vs.間島

 栃木県の摘発問題の最後を締めくくるのは場外乱闘みたいなものだ。内務省の官僚が暴露した世耕宛の信書で、世耕の委託を受けた弁護士二人が山形県農業会に対して、払下げの衣服1着につき2円の手数料を要求したという内容についてだ。問題は弁護士の一人塚崎直義と言う人物が最高裁の判事に就任してしまったことだ。扱いを間違えると一大スキャンダルになりかねない。

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国会議事録を読む/第001回国会 隠退蔵物資等に関する特別委員会(その4宇都宮事件④)

山形県農業界代理人間島の証言

 続いて間島が証言台に立つ。山形県農業会の代理人として世耕に信書を出した本人である。

間島証人

 しからばなぜああいう文書を出したかと申しますと、まず第一に宇都宮の指令をいただきますまでは、私は世耕先生が非常な御確信をもつて、相当の反対があっても押切っておやりになつておるのを、非常に頼もしく、かつ信頼をしておりましたけれども、宇都宮失敗の原因を反省し検討をしてみますのに、これは官吏と申しますか、官庁や県庁ばかりが悪いのではない。この宇都宮の物は出ないようになっておったのであります。指令書そのものを出してくだすった世耕先生も、ほんとうに山形にその品物が渡せるという御確信がなかったと私は思います。濱田君にしても、これを必ず手に入れることができると確信はされておらなかったと私は斷言をいたします。

 

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国会議事録を読む/第001回国会 隠退蔵物資等に関する特別委員会(その4宇都宮事件③)

栃木県警経済防犯課森課長の発言について

 森課長の発言、特に間島が世耕に宛てた信書の暴露は委員会で波紋を生んだ。その対立を整理すると

  • 世耕宛の信書が世耕本人には届かずに何故内務省の役人が手に入れたのか。まるで戦前の特高のような行動が許されるのか。隠退蔵等処理委員会副委員長であった世耕と官僚の対立
  • 信書に述べられている内容、特に世耕非難の内容について、差し出し人である山形県農業会の代理人である間島と世耕の対立
  • 信書に述べられている内容、世耕の代理人として摘発に当った濱田および塚崎弁護士と間島の対立、払下げに関して百万円の手数料の要求を濱田たちが山形県農業会にしたのか?
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国会議事録を読む/第001回国会 隠退蔵物資等に関する特別委員会(その4宇都宮事件②)

栃木県警森課長の爆弾発言


 ここで、栃木県警経済防犯課の森課長が登場する。彼は検事局と供に摘発に関係している。彼の長々とした証言を抜粋すると以下の通りとなる。

  • 摘発を私利私欲のためにするのではなく国家的見地から遊休物資を活用するという趣旨であった船岡弁護士であったが、そのあとで今度の摘発をした場合に、その幾割かを現物で県からもらいたいという話があった。
  • 船岡の情報提供者は井上登という人物である。彼は強盗や窃盗事件を犯した前科ものである。彼は現在のところで言うクレーマーであり、県警にも何度も情報提供をしている常習者であり、県警も目をつけていた。

 爆弾発言の核心は次のところだ。突然森課長は山形県農業会の代理人である間島と言う男が、世耕に宛てたとされる信書を突然読み上げる。間島によるその手紙は世耕の気ままな振舞に山形県農業会が振り回されるうらみつらみが書き連らねられている。今まで防戦一方、何か不正があるのではないかと疑われていた官僚たちが反撃ののろしを上げた瞬間なのだ。それだけではない、さらなる爆弾を投下する。その一節が下記の通りだ。

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国会議事録を読む/第001回国会 隠退蔵物資等に関する特別委員会(その4宇都宮事件①)

特別委員会の性格

加藤委員長(筆者による抜粋、旧仮名を新仮名に変更、以下同様)

法律に規定されている範囲では(中略)この委員会には法律上の処分をする権限はない。 従って もし証人なり参考人に出頭を求めて――もし出ないならば、なぜ出ないかを明白にして、社会に発表して、社会的の制裁もおのずから加わるという方向に、この委員会としてはもつていくべきである。それ以上は今日のところ権限がないのです。

 もともとこの委員会はこのような機能しか持っていなかった。だから出てくる証人は何を言おうと、その発言について何ら責任を問われることはなかった。これでは鋭い追求ができるわけではない。
 筆者自身、この議事録を読み始めた時に最初に浮んだ疑問点はその点であった。たとえばロッキード事件の記憶などから、議会で喚問された証人が虚偽の証言をしたときは偽証罪に問われるのではないかと思っていた。「記憶にございません」を連発した証人が世間を騒がせたけれども、それは偽証罪に問われないゆえの発言だったはずである。
 調べてみると、その議院証言法が制定されたのは昭和22年12月23日であり、本委員会は同年8月だから、嘘を言ったとしてもそれを取締る法律はまだなかったのだろう。
 当然のことながら、証人たちののらりくらりとした応対にこちらもじれったい思いもするけれども、反面法的な制裁を受けないということから、思わぬ発言が飛び出したりする。一見それはトンデモ発言のようでいて、発言の背景にあるものが浮き出てくるようで非常に興味深い。

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国会議事録を読む/第001回国会 隠退蔵物資等に関する特別委員会(その3) 水あめ事件②

警察の腐敗

それは坂本警察署に醤油の問題か何か知らぬが食糧品の問題で挙がったやみの団体があつた。それから順々と糸をたぐつてきたら遂にあめ問題に逢著した。これは大変だというので岩崎はただちに警視庁に動いて、警視庁の某々の二、三人が当時の坂本警察署の取調係官とやはりいろいろ関係があつて、一席設けた。これを何とか不問に附してくれぬかというような相談があつた。とにかくその係官は警察官としては正当か正当でないか知らぬが、腹が大きいと言いますか、悪人と言いますか、結局一件書類を焼いてしまつた。そうしてこれが潔く警察をやめて、その代償にとつたものがあめ三百カン、その当時の金で十何万円か二十万円とか言いました。これを握つてチヤツカリ警察を退陣した。名前は当時聞いておりましたけれども、どうも年取つたせいか記憶がなくなつて名前だけは失念しております。(議事録10号武永証人発言)

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国会議事録を読む/第001回国会 隠退蔵物資等に関する特別委員会(その2) 水あめ事件①

隠退蔵物資等に関する特別委員会について

特別委員会は1947年(昭和22年)07月26日から12月01日まで23回に渡って開かれた。幾つかの事件が委員会で取り上げられた。その中で最初に東京都内で摘発された水あめに関する委員会でのやりとりを取り上げる。発端は下記の世耕弘一発言からである。

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